銭と物価編
「一石は現代の何円か」に、答えないための編MONEY & VALUE
戦国ものを調べていて、いちばん誘惑に負けやすいのがここです。「百万石は現代の何億円か」を知りたくなる。ところが、この問いには誠実な答えが存在しません。だからといって諦める必要もなくて、換算ではなく比較で考えるという方法があります。この編は、数字の読み方そのものを扱います。
構造
価値の物差しが三本、同時に走っている
戦国期の日本には、統一された通貨制度がありません。三つの体系が並行し、場所と用途で使い分けられていました。この前提を飛ばすと、あらゆる数字の話が混乱します。
銭
同じ一文が、同じ価値ではない
戦国の銭で最も知られるのが明から輸入された永楽通宝です。良質の基準銭として通用し、織田信長が旗印に用いたことでも有名です。しかし市中に流れる銭はそればかりではありませんでした。
ここが要点です。「銭三貫文」という記述があっても、それがどの品質の銭で、どの地域の慣行で数えた三貫文なのかが分からなければ、実質価値は決まりません。史料に数字があることと、その数字が比較可能であることは別のことです。
土地
石高は「採れた米」ではない
よくある誤解を先に潰しておきます。石高は実際の収穫量ではなく、検地によって定められた公定の見積り値です。畑も、屋敷地も、塩田さえも米に換算して石高で表されます。つまり石高とは、その土地がどれだけの負担に耐えられるかの評価額であって、倉に積まれた米の量ではありません。
秀長の「大和大納言 百万石」を読み解く
秀長は最終的に大和・和泉・紀伊を領し、その石高はおよそ百万石とされます。これは徳川家康に次ぐ規模で、豊臣家の直臣としては破格です。ただし読むべきは金額ではなく位置です。大和・紀伊は、寺社勢力と地侍が入り組んだ、最も統治の難しい地域のひとつでした。そこに弟を置いたということは、石高の大きさ以上に「最も面倒な場所を任せられる人物」だったことを意味します。
核心
換算すると、答えが十倍ずれる
では「米一石は現代の何円か」を、複数のものさしで試してみます。以下はいずれも粗い試算で、桁を見るためだけのものです。推定
ものさし① 米の重さで比べる
一石は玄米で約150kg。現代の米の小売価格から換算する方法。ただし現代の米価自体が年によって大きく変動するため、この物差しも固定できません。
ものさし② 人を養う力で比べる
一石は大人ひとりが一年に食べる米の量にほぼ相当するとされます。ならば一石は「一人・一年分の生存」の値段。現代の一人あたり年間生活費に置き換えると、桁がひとつ跳ね上がります。
ものさし③ 働いて得られる量で比べる
当時の労働者が一石を得るのに何日働いたか、を現代の日当に掛ける方法。当時の賃金水準の史料自体が乏しく、幅が非常に大きくなります。
だから、換算しない。同じ「一石」が、どの物差しを当てるかで十倍以上ずれます。これは計算の精度の問題ではなく、米が現代とは違う役割を持っていたからです。当時の米は食料であり、税であり、給与であり、軍事物資でした。ひとつの現代の値段に押し込められるはずがありません。
「一石=◯円」と書かれた資料を見たら、それは親切な単純化であって、事実ではないと思ってください。
代案
円に直す代わりに、何と釣り合うかで考える
では、どうすれば実感がつかめるのか。答えは当時の中での比較です。円に変換せず、当時のもの同士を並べる。これなら意味が壊れません。
| この石高は | おおよそ何と釣り合うか | 確からしさ |
|---|---|---|
| 一石 | 大人ひとりが一年に食べる米にほぼ相当 | 広く用いられる目安 |
| 一万石 | 動員できる兵は、およそ200〜600人。地域と時期で幅が大きい | 推定幅で理解すべき |
| 百万石 | 数万規模の軍勢を単独で編成・維持しうる。国持大名の最上位層 | 相対比較として妥当 |
| 名物の茶入ひとつ | 一国に値すると称された諸説 | 誇張を含む修辞 |
「一万石で二百人から六百人」という幅の広さは、いい加減さではなく実態そのものです。豊臣期の軍役の基準には明確な地域差があり、動員負担の重い地域とそうでない地域がありました。一律の数値が存在しない以上、幅で書くことが最も正確な記述になります。
兵站の重さを、この編の数字で感じる
食編で触れた「兵一人一日五合」を使ってみます。一万の軍勢なら一日で五十石、ひと月で千五百石。これを消費地まで運ばねばならず、運ぶ人夫もまた食べます。つまり遠くへ行くほど、運搬のために運搬が必要になる。戦国の遠征が「勝てるか」より「続けられるか」の勝負だった理由がここにあります。秀長が任されていたのは、まさにこの算数でした。
まとめ
