装束編
着ているものが、その人の身分と場面を告げるWHAT THEY WORE
戦国の人物は、相手と場面によって着るものを変えます。同じ武将が、朝は肩衣袴で、昼は具足で、夜は狩衣を着ていることもある。つまり衣装は台詞の一部です。今どういう場面なのかを、言葉より先に着物が説明しています。ここでは「何を着ているか」から場面を読む手がかりを整理します。
構造
男の装いは、三層で考える
複雑に見えますが、骨組みは単純です。下地・上着・頭の三つ。この組み合わせで格が決まります。
格の階段
上着の序列、上から下へ
武家の上着は、おおよそ次の順に格が下がります。後世ただし、この序列がきっちり制度化されるのは江戸幕府の下でのことで、戦国期は場面と家によってかなり融通が利きました。
- 直垂ひたたれ
武家の最上格の礼装。袖に菊綴(きくとじ)という飾り紐が付き、袴と共布で仕立てられます。将軍への謁見など、最も改まった場面の装い。
- 大紋だいもん
直垂の一種で、家紋を大きく染め抜いたもの。誰の家の者かが遠目にも分かる、名乗りとしての衣装です。
- 素襖すおう
裏地をつけない簡素な直垂。麻で仕立てられます。格式は下がりますが、正式な場でも用いられる実用的な礼装。
- 肩衣袴かたぎぬばかま/上下(かみしも)
上着の袖を落として肩を張らせた「肩衣」と袴の組み合わせ。戦国期に広く普及し、のちの裃(かみしも)になります。武士の日常着にして、そこそこ改まった場面もこなす万能着。
これに加えて、公家の装束があります。官位を受けた武将は、朝廷に関わる場面では束帯・衣冠・直衣・狩衣といった公家装束を着ます。関白となった秀吉、権大納言となった秀長は、この世界にも足を踏み入れた人物です。武家装束と公家装束を場面で着替えていること自体が、豊臣政権の二重性を映しています。
場面別
この場面なら、この装い
肩衣袴が基本です。城の中で書状を読み、家臣と打ち合わせをする場面の標準装備。寒ければその上に胴服(どうぶく)を羽織ります。胴服は小袖の上に着る丈の短い上着で、信長や秀吉が功のあった家臣に与えた例が知られています。着るものを与えるという行為が、そのまま恩賞だった時代です。
下級の武士や奉公人は、小袖に短い袴、あるいは小袖のみに帯という姿。足元は草鞋(わらじ)や足半(あしなか)。
直垂・大紋・素襖。相手の格と場の重さで選びます。同盟交渉、主君への報告、他家の使者の応対。ここで格を間違えることは、外交上の失敗になりえます。
朝廷が絡む場面では狩衣・直衣・束帯。官位を持たない武将は着られないので、誰が公家装束を着ているかを見れば、その人物が朝廷から官位を受けているかどうかが分かります。ここは画面から読み取れる、けっこう強い情報です。
当世具足(とうせいぐそく)が戦国期の標準です。平安・鎌倉の大鎧は騎射のための古い形式で、この時代の主流ではありません。構成は次の通り。
| 部位 | 名称 | 役割 |
|---|---|---|
| 頭 | 兜・立物(前立など) | 防御と、遠目の識別。奇抜な形の「変わり兜」は誰がそこにいるかを伝える標識 |
| 顔 | 面頬(めんぼお) | 顔面の防御と威嚇。緒を締める顎の掛かりも兼ねる |
| 胴 | 胴 | 本体。西洋甲冑の胴を用いた・模した「南蛮胴」は鉄砲に強いとされた |
| 腰 | 草摺(くさずり) | 胴から垂れて腰まわりを守る |
| 腕 | 袖・籠手(こて) | 肩と腕。動きを妨げないよう軽量化が進む |
| 脚 | 佩楯(はいだて)・臑当(すねあて) | 太腿と脛 |
具足の上には陣羽織を羽織ります。南蛮渡来の羅紗など、目立つ素材が好まれました。背に負う旗が旗指物、大将の使番などが背負う大きな袋状の布が母衣(ほろ)です。いずれも「自分が誰か」を戦場で叫ぶための装置。
足軽が着るのは御貸具足(おかしぐそく)。大名が貸し与える量産品で、簡素な胴と陣笠に家紋が入ります。推定色を揃えた「赤備え」のような例は知られていますが、すべての軍勢が統一装備だったわけではありません。
女性も基本は小袖です。その上に打掛(うちかけ)を羽織るのが上層の正装で、これを打掛姿といいます。夏には打掛を脱いで腰に巻きつける腰巻姿という略式の礼装がありました。
髪は上層では垂髪(すいはつ・たれがみ)、つまり長く垂らした形が基本です。諸説髪を結い上げる形が一般化するのは近世に入ってからで、戦国期はちょうど移行の途上にあたります。
外出時には頭に布をかぶります。頭を包む桂包(かつらづつみ)、小袖をそのまま頭からかぶる被衣(かずき)など。身分ある女性が人目にさらされないための作法であり、同時に「この人は身分ある女性だ」という表示でもありました。
色と素材
高い色、安い色
色は染料の値段です。手に入りにくい染料の色ほど高く、それを着られること自体が身分の表示になります。
勝色について。諸説濃い藍色を「褐色(かちいろ)」と呼び、「勝」に通じるとして武士に好まれた、という説明はよく知られています。ただし語呂合わせ的な説であり、当時の武士が皆そう意識して選んでいたと断定はできません。
素材の側でこの時代の大きな変化は、木綿です。それ以前の庶民の衣は麻が中心でしたが、戦国期に国内での綿作が広がり、暖かく丈夫で染めやすい木綿が急速に普及していきます。衣服だけでなく、軍事的にも意味がありました。火縄銃の火縄、帆布、旗指物。木綿は戦争の消耗品でもあったのです。
値段の話をどう扱うか
「具足一領はいくらか」「小袖一枚はいくらか」は、当然気になるところです。ただし戦国期の衣類価格をまとめた史料はきわめて限られ、地域差・時期差も大きい。単一の数字を出すと、それは事実ではなく創作になってしまいます。値段の考え方は銭と物価編で、幅と根拠つきで扱います。
早見
